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インドで身ぐるみ剥がされた話

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数年前にインドで身ぐるみ剥がされた話を書こう。

数年前の元日、私は年末に中途採用の内定を頂き、晴れ晴れとした気持ちで新年を迎えた。

入社は2月1日から。この1ヶ月をどう過ごそうかと考えた時、既に私の答えは決まっていた。

「インドに行く!」

元来旅好きの私だが、まだインドには行った事がなかった。バックパッカーの聖地とも言われるインドに行くには、この空白期間は絶好のチャンスだった。

採用が決まった後の面談でもこの期間にインドに行くことを伝え、連絡が取りづらくなることを了承頂いた。

すぐに航空券も購入。1泊目の宿も予約し、これで準備は完璧。

新天地での部屋探しなどもあったため、旅に使える日程は10日間、入社2日前に帰国し、翌日に引越しをする予定だった。

首都ニューデリーから入り、タージマハルのあるアグラを訪れ、ヴァラナシのガンジス川で沐浴し、マザーテレサの愛した街コルカタへ向かう。最後にまたニューデリーへ戻り帰国というルートを予定していた。

インド旅の初日。

大きめのバックパックを預け、小さいリュックを背負って今はなきキングフィッシャー航空に乗り、ニューデリーに到着したのは確か午後だったと思う。その日は特に観光地へは行かなかったが、ホテルへ向かう街並みを歩くだけでもインドの活気と蒸し暑さに圧倒されていた。

無事にホテルへ到着、オーナーの方と挨拶を交わし、その日は夕食をとって早めに就寝。

旅2日目。

大きい方のバックパックを部屋に残し、街に繰り出すこととした。

泊まっていたのは安宿だったこともあり、部屋の鍵もあまり信用できなかったので、貴重品は全てリュックに入れて持ち歩くこととした。

街を歩きまくり、少し疲れたのでベンチで座って休むこととしたのは16時頃だっただろう。その時、一人の小綺麗な身なりをしたインド人の青年(と言っても30代半ばくらいに見えた)が話しかけてきた。彼をAと呼ぶことにする。A曰く、自分もインドの田舎から来た旅行者で一人で色々と見て回っているが、行ってみたい場所があるのでよかったら一緒に行かないか?というお誘いだった。

今考えればこの時点でかなり怪しいが、旅慣れていた(と思っていた)私は変に自信があり、現地人の友達を作ることも悪くないと思い、一緒に向かうこととした。行き先は「インド門」という場所。

道中も色々と話ながら向かったが、道端に出ている屋台の得体の知れない食べ物を詳しく説明してくれたり、ローカルバスの乗り方を教えてくれたりととても親切だった。

そうこうして目的地に到着、すると本日は入場できないとのこと。どうやらその場所で軍隊が演習?か何かをやっていた模様。

せっかくここまで来たのになぁと落胆していると、道の反対側にチャイ(紅茶)を販売している屋台が!まだ本場のチャイを飲んでいなかった私はぜひ飲んでみたいと思い、Aと共にチャイを飲むこととした。

そしてここからは私の想像となる。

2人でチャイを飲んでいる間、おそらく私が目を離した隙に彼が私のチャイに睡眠薬を入れていたのだと思う。チャイを飲み終えて少し散歩でもしようかと歩き出し、道路を半分くらい渡ったところで急に目の前の景色が歪んで地面が近づいてきた。

気づいた時には知らないホテルのベッドで横になっていた。しかも周りには7、8人くらいのインド人がこっちを見ている。

初めは自分がなぜここにいるのか、彼らが誰なのか、Aはどこに行ったのか、全てが全く意味がわからなかった。

落ち着いて話を聞くと、周りにいる彼らは日本大使館の職員とのこと。

ここから彼らの話を聞いてだんだんと状況が理解できた。

私が気を失ったのが旅2日目のおそらく18時頃。

そして私が発見されたのが翌日早朝。全く離れた場所の道端で寝ているのを発見された模様。現地の人が日本人が道端で寝ているぞと警察に連絡し、警察から日本大使館に連絡が行き、入国記録を調べた結果私という事がわかり、既に日本にいる私の家族にも連絡済みだった。しかも1泊目の宿のオーナーにも連絡がいっており、私が寝ていたのはこのオーナーの別のホテルという事だった。このネットワークすごい!!

私が目覚めたのはその日の夕方だったので、ほぼ丸一日眠っていた事となる。

もちろん荷物は全て無い。現金もクレジットカードもパスポートもipodもウインドブレーカーもリュックごと全て取られた。文字通り身ぐるみ剥がされた状態。宿を信用できないと全て持ち歩いた事が仇となった。一文無しとはまさにこのこと。

因みにだが、こういうのを昏睡強盗と言うらしく、結構よくある手口とのこと。この時期のニューデリーは夜はかなり寒かった(おそらく気温一桁代)。よって、屋外で眠ってしまう事で凍死してしまう人もいるらしい。私はまだ若かったので体力もあり、助かったのだろうと言われた。

その日は部屋までカレーを運んでもらい、食欲はなかったが少し食べてまた寝た。

旅4日目。

この日は宿のオーナーが車と運転手を手配してくれ、事件の報告とパスポート再発行の申請をする為に警察と日本大使館へ行ったらしい。

「らしい」と言うのは、この日は起きて活動していたはずだが実は記憶がほとんど無い。おそらく薬の影響だろうか。

旅5日目。

この日は忙しい1日だった。

まず日本からウエスタンユニオンで送金してもらったお金を受け取り、日本大使館へいった。

そこで担当の方に会ったが、結構厳しく怒られた。前日にも会っていたらしいが、そこで私が話した事と、警察署で話した内容が違っていたとのこと。何を話したかどころか会ったことさえも全く覚えていないので何も言えなかったが、おそらく混乱していたのかと思う。

さて、大使館でパスポート再発行の申請をするのだが、担当の方によると通常は2週間くらいかかるとのこと。

まずい。私の帰国日は5日後。帰れないだけならまだいいが、このままでは入社日にも間に合わない。これはかなりまずい!とここで実感が湧いてきて冷や汗が出てきた。

しかし必死に状況を説明し、なんとか最短で進めてくれるとのこと。前日にインド人に囲まれながら撮った(この部分だけは少し覚えている)パスポート用写真を添えて申請した。

この写真、眠りから覚めてから風呂に入っていなかったので、髪はボサボサ、顔に倒れた時の擦り傷、目は虚ろ、といった感じで、イミグレーションで止められそうな写りだったがすんなり通った。(このあと5年間はこのまま使用した。)

次に警察署に行き、状況を説明した。

ここはすんなりOK。保険請求用に事故の証明書を頂いた。

最後は入国管理局へ。

ここが最も面倒だった。

パスポートの再発行だけなら入国管理局へ行く必要がないが、インドは例外。

日本人のパスポートはかなり多くの国にビザ無しで渡航できるが、インドはビザが必要な国。なのでパスポートに貼り付けてあるビザを無くした私は、入国したという記録を入国管理局で証明してもらわないと帰国できないということだった。

しかもここはなぜかインド人を含め様々な国の人で常に相当な混雑具合だった。おそらくだが、インドに入るのにビザが必要な国が多いということは、インド人が海外に行く際にもビザが必要な国が多いのだろう。混みすぎて運転手も建物内には入りたくないらしく、1人で申請する事となった。列に割り込む人が多く、待っていたんではいつまで経っても自分の番は来ないので、私もグイグイ割って入ってなんとか申請できた。盗まれたパスポート番号や入国日などを書いた紙をくれて、これをイミグレで見せればOKとのことだった。

旅6日目。

今できる手続きは済んだので、この日は改めてニューデリーの街を散策する事とした。

こんな事件に巻き込まれた後だが、当然だがこの街は何も変わらない。

街中を歩く旅行者や現地人を見ていると、この中にも同じような事件の被害者もしくは加害者もいるのかもしれない。

ふとAのことを思い出したが、不思議と怒りは無かった。

先ほど、私が気を失った場所と発見された場所が全く違ったと書いた。つまり何者かに運ばれている事となる。実は発見された場所は私が宿泊していた宿の近くだった。

ローカルバス中でのAとの会話の中で、私の宿の大体の場所を伝えていた。お人好しと言われるかもしれないが、Aはお金が手に入ればよく、命まで取るつもりはない、せめて宿の近くに降ろしてあげようという考えがあったのではないかと思うようにしている。でなければわざわざ人目につく可能性がある場所まで運ぶ必要があるのだろうか。

街中ではクラクションが絶えず鳴り響き、人々が言い争っている光景もよく見かける。

でも恐怖や嫌悪感は無く、皆、日々精一杯生きているんだなって感じた。

私にとっては、これがインドに惹かれる魅力なのかもしれない。

旅7日目。

当初の予定通りヴァラナシとコルカタへ行く事は無理となったが、ずっとニューデリーにいても退屈なので、またまたオーナーさんにドライバーを手配してもらい、アグラ、ジャイプル、ハリドワールという3つの街へ行く事とした。

アグラではもちろんタージマハルを訪れた。カメラがなかったので写真には収められなかったが、左右対称の真っ白な建造物の美しさに見とれた。これがお墓とは。。。おそらく世界一美しいお墓だろう。

この日はアグラに宿泊。夜のホテルの屋上で静まり返った街を眺めながらゆっくりとした時間を過ごしたのも、また良き思い出となった。

旅8日目。

この日はまずジャイプルへ。ピンク色の街として有名だったが、個人的にはあまり面白みはなかった。

ジャイプルは早々に切り上げ、ハリドワールへ向かう。

ハリドワールはヒンズー教の聖地の一つで、ガンジス川の上流にある街。という事で翌日は早朝からガンジス川で沐浴する事に。

ニューデリーより北にあるので夜はかなり冷え込んだが、なんと宿はお湯が出ない。仕方ないので発熱機のようなものでバケツに入った水を温めてお湯にしてもらった。

旅9日目。

早朝からガンジス河で沐浴することに。

正直よくテレビで見るめちゃくちゃ汚い川を想像していたが、実際はかなり綺麗だった。上流のハリドワールと中流のヴァラナシでは全く違うということだ。

おそらく気温は一桁台とかなり寒かったが、事件にあった邪気を清めるという意味でもパンツ一枚になり沐浴した。初めは寒かったが、徐々に慣れてきて気持ちよかった。これで体の汚れも心の穢れも落とせただろう。

ちなみにドライバーに、なんで沐浴しないの?って聞いたら「こんなに寒いのにするわけないだろ!昼間暖かいときにするよ〜」と言ってた。先に言ってくれ!

その後ニューデリーに戻り、無事にパスポートを受け取り、翌日の便で無事に帰国することができた。

こんな感じで初のインド旅はある意味内容の濃い、忘れられない旅となった。

帰国してからこの話を友人にするとみんな驚いていたが、ある意味すべらない話ということでよくネタにしてくれていた。

因みに、日本大使館で厳しく怒られたという話に尾ひれがついて、なぜか「日本の恥」と罵られたということになっていて、友人からはしばらく「日本の恥」と呼ばれていた。。。

こんな事件に巻き込まれて、もう2度とインドに行きたくないんじゃない?と良く聞かれるが、強がりではなくそんな気持ちは全然無い。インド人やAに対する怒りもない。むしろ私がピンチの際に大変助けられたことに感謝しているくらいだ。

パスポートの再発行を最短で手配してくれた日本大使館の担当者さん、入国管理局で必死で割り込んできた私にすぐに必要書類を書いてくれたお姉さん、道端で寝ているところを通報してくれた現地の方、事件の一報を聞いて急遽日本から送金してくれた姉、私が目覚めるまで見守ってくれていた大使館職員の方々、各所での手続きに同行してくれたドライバーさん、一文無し状態だった私にも色々と手配してくれたオーナーさん、多くの人に助けられて私は今ここにいる。

そして私はその時に入社した会社で今も働いており、仕事でインドには既に10回以上行っている。最初で最後のチャンスのつもりで行ったインド旅だったが、人生とは本当にわからないものだ。

私が仕事で行く場所はニューデリーからは遠く離れているが、またいつかニューデリーを訪れるチャンスがくることを信じて楽しみにしている。

一度死にかけてどん底に落ちながらも、多くの人に助けられた恩を感じる街。

次に訪れる時には、きっと前回の滞在とは違った見え方・感じ方ができるのではないかと思う。

ABOUT ME
chatran
旅を愛する30代の外資系サラリーマン。 世界中を旅するのが夢です。 自由に生きるため、日々投資も勉強中です。