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中国訪問記(202505)

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2025年5月22日から29日までの7泊8日で中国出張に行ってきた。

2019年頃まで中国担当だったが、その後別のエリア担当になり中国からは離れていたが、先日から再び中国を担当することとなった為、コロナ前以来の久々の訪中となった。

スケジュールとしてはまず南京の顧客を訪問し、北京に移動して展示会に参加する。

ビジネスとしては様々な顧客と出会い良い話が出来、また中国の同僚にも久々に再会することが出来たし、土日を挟んでいたので自由時間に観光も出来た。

この記憶を忘れないように書き記しておこうと思う。

 

1日目 20250522

今回の旅は同僚のAとの同行。まずは羽田空港内で待ち待ち合わせ、朝のラウンジで朝食を摂る。隣でAは朝からビールをきめていたので、私も釣られてビールで乾杯。やはりこの時間はたまらない。

10:05羽田発、12:15上海虹橋着。

南京への電車まで少し時間があったので近くのショッピングモールへ。平日の昼間だからかかなり人が少なく寂れていた雰囲気だったが、とりあえずカフェで時間をつぶす。私はアイスの入ったミルクティー的なものをオーダー。思ったより甘くない、そして量が少ない。

時間になったら駅へ移動。駅中はかなりの人でごった返していた。さすが中国!

15:04上海虹橋発、16:45南京駅着の電車に乗車。車内は綺麗で乗り心地も快適だった。

南京南駅で中国人の同僚2人(MとH)と待ち合わせ。Hとは初対面だったが、勝手に男だと思い込んでいたので、会って初めて女性と知って驚いた。

駅近くのWanda Meihua Nanjing South Railway Stationにチェックインして部屋で荷物の整理をしていると、エアコンが使えない& Wifiが繋がらない。フロントにいたスタッフに言うと部屋まで来てくれて対応してくれた。どちらも何が原因かよくわからなかったが、スタッフ自前のスマホでWifiに繋いだりしていて結構面倒なやり方が必要のようだった。

無事に解決したので感謝を伝えると、ぜひ良いレビュー紙に書いて欲しいと言われたので英語で書くと、嬉しそうに写真を撮っていた。彼の良い評価につながるといいな。

夕方になったらホテルの目の前にあるレストランで4人で夕食。外の席で皆でビールで乾杯。夜風が気持ちよかった。

Mとは5年ぶりくらいに会ったが少し恰幅が良くなっていた。聞くと結婚して子供もいるとのこと。前回会った時はまだ独身で彼女もいないと言っていたが、月日の流れを感じる。

国籍や言語は違うが、同じ業界で働いている縁で知り合い、こうやって一緒に食卓を囲み、お酒を飲みながら語ることができる時間はかけがえのない経験だとしみじみと感じる。この仕事をしていてよかったと感じる瞬間だ。

 

2日目 20250523

本日は顧客訪問の日。朝9時頃から約2時間程ミーティングを行った。初訪問だったがまずまずの感触。受注に繋がることを祈る。

ミーティングはすぐに南京空港へ移動し、ラウンジで昼食。カップ麺を食べている人がいたのでスタッフに言うと奥から出してきてくれた。麻辣と書いてあるので予想通りだったがかなり辛い。胃腸が弱い人はご注意を。

13:50 南京発、15:40北京着。同僚が空港に迎えの車を手配してくれていたのでスムーズに合流し、Sunworld Dynasty Hotel, Beijingにチェックイン。ここは王府井大街沿いにあり抜群の立地だが、関連会社の契約がある関係で安めに泊まることが出来た。

チェックインを済ませたら早速街中を散策。コロナ渦を挟んで久々の訪問だったが、王府井大街は前回きた時からさほど変わっていない印象だった。同僚のAは王府井大街は初とのことだったので、いっちょ驚かせてやろうと思い、王府井小吃街という、サソリや芋虫などのゲテモノの串焼きが売っている面白い通りに連れて行こうとしたがどうにも見つからない。色々と検索してみるとどうやらコロナ渦で観光客が激減したことにより閉鎖されてしまったようだった。ショック!通りがあった場所はなんとか探し当てたが、店は無くなっていて寂しい雰囲気だった。月日の流れを感じる。。

しばらく歩き回ると、なにやら雰囲気の良い通りにたどり着いた。通り沿いにたくさん店が並んでいる。そのうちの1つにキャンプ場を思わせる「野火」という雰囲気抜群のお店があったので本日の夕食はここにすることに決めた。

窓際のランタンがある席に陣取り、スマホでQRコードを読んでオーダーするスタイルだったが、オーダーしても一向に何も来ない。何度か店員さんを呼んで店員さんのスマホでビールをオーダーして貰うと、しばらくして一気にビールが4杯来た。笑 まぁこんなこともあるよねと笑いつつ乾杯。羊肉の串焼きや野菜スティック、フライドポテトをつまみに、久々の北京の夜飲みを楽しんだ。

 

3日目 20250524

本日は土曜日ということで仕事は休み。午前中はホテルの部屋で溜まった仕事を少し片付けて10時頃からゆっくり活動開始。

この土日をどうやって過ごそうか全くのノープランだったので、昨夜遅くになってから北京で何をしようかと色々と調べていたのだが、今更ながら故宮博物院に行こうと思い立った。

北京故宮博物院は、旧称が紫禁城と呼ばれ、北京の中軸に位置する、中国の明、清の24人の皇帝の王室宮殿です。中国古代漢民族宮廷建築の精華で、比類のない建築傑作です。現存規模が最大で、保存が最も完備している木造建築の一つです。北京故宮は三大殿を中心に、敷地面積が72万平方メートル、建築面積が約15万平方メートルで、70以上の大小の宮殿、九千以上の部屋があります。

故宮[tuchong.comより]

北京故宮は明成祖永楽四年(1406年)から建設を開始し、南京故宮をモデルにして建設され、永楽十八年(1420年)に竣工しました。長方形の城で、南北961メートル、東西753メートル、四方には高さ10メートルの城壁があり、城外には幅52メートルの堀があります。紫禁城内の建物は外朝と内廷の二つの部分に分けられています。外朝の中心は太和殿、中和殿、保和殿で、総称して三大殿といい、国が大式典を行う場所です。内廷の中心は乾清宮、交泰殿、坤寧宮で、総称して後三宮といい、皇帝と皇后が住む正宮です。

北京故宮は世界五大宮のトップ(フランスヴェルサイユ宮殿、イギリスバッキンガム宮殿、アメリカホワイトハウス、ロシアクレムリン宮殿)と賞賛されています。国家AAAAA級観光スポットで、1961年に第1陣の全国重点文化財保護部門に指定され、1987年に世界文化遺産に登録されました。

 

故宮博物院に行こうと思った理由としては、少し前にラストエンペラー(これも有名ながら古い映画で今更ながら観たのだが)という映画を観て心に響くものがあったので機会があれば是非一度訪れてみたいと思っていたので良いチャンスだと思った。

参考までにラストエンペラーのあらすじは以下の通り。

1950年、ハルビン駅では次々と中国人戦犯たちが送りこまれていった。800人を越えるその人の中には“清朝最後の皇帝”--愛新覚羅溥儀(ジョン・ローン)の顔もあった。彼は人目を避けてトイレに入り手首を切った。様ざまな過去が彼の脳裏をよぎった--まだ何もわからぬ幼少(リチャード・ヴゥ)の頃、光緒帝は帰らぬ人となり、実質的支配者だった西太后(リサ・ルー)は、溥儀を紫禁城に迎え、皇帝にと考える。紫禁城での生活は、外へ出ることは禁じられ、心の支えは乳母(イエード・ゴー)だけだった。7年後、溥儀(タイジャ・ツゥウ)は、中国全土に革命の嵐が吹き荒れる中で、孤独だった。そんな頃、家庭教師としてやって来たレジナルド・ジョンストン(ピーター・オトゥール)から数学やテニスなど西洋の文化を学ぶ。やがて15歳になった溥儀(ワン・タオ)は17歳の婉容(ジョアン・チェン)を皇后に、12歳の文繍を第二の妃に迎えた。1924年、中華民国の軍人である馮玉祥のクーデターで、溥儀は紫禁城を追われ、ジョンストンが、婉容、文繍(ウー・ジュン・メイ)、女官らと共に英国大使館に保護することになる。一方、戦犯管理所センターでは、罪の告白が続く。溥儀は、日本の甘粕大尉(坂本龍一)との日々を思い出していた。天津の租界地でプレイボーイの生活を楽しんでいるころ、蒋介石率いる国民党が上海を攻略。溥儀の身を案じた甘粕は、日本公使館へ逃亡するように指示する。民主主義に日覚めた文繍は離婚を申し出、溥儀の元を去り、かわりに日本のスパイであり婉容の従姉のイースタン・ジュエル(マギー・ハン)がやってきた。やがて友人のジョンストンも帰国したが、1932年、全世界の非難にも関らず溥儀は、日本の“傀儡政府”である満州国の執権になり、2年後皇帝となった。溥儀が東京を訪問中、婉容が運転手と誤ちを犯し身寵ってしまう。運転手は射殺され、子供は秘かに始末された。中国主要都市を制圧した日本軍だが、1945年、ソ連が宣戦布告、同年8月15日、日本は無条件降伏する。玉音放送を聞きながら、甘粕はピストル自決を遂げた。日本へ脱出しようとした満州国皇帝は、長春の空港でソ連軍の捕虜となる。1959年、10年の収容所生活を経て、溥儀は特赦される。皇帝溥儀は、一市民に生まれ変わったのだ。そして、庭師として北京で暮らす溥儀は、あの懐かしい紫禁城を訪れる……。

 

当日チケット売り場で長時間並ぶのは嫌なのでネットでチケットを買っておこうとサイトを見てみると、観光する日の1週間くらい前にチケット買っておく必要があるようだった。「え、全然無理じゃん!」と思ったのだが、別のサイト(https://www.getyourguide.jp/)では故宮博物院に行くツアーを明日の日付で販売しているので、理由はわからなかったが、販売しているなら行けるはず!と思ってツアーの予約をした。午後発のチケット込みのグループツアー(英語)で5000円くらいだった。

午前中は近所を軽く散策し、昼食を済ませ、13時少し前に合流地点に到着。ガイドはトニーという英語が堪能な推定40代後半くらいの中国人男性。ツアーメンバーは当たり前だが欧米人が多く、総勢10人くらいだった。日本人はもちろん私一人だけ。

ツアーが始まり、トニーの説明を聞きながら各スポットを巡る。私は事前に知識があまり無かったので、故宮博物院の歴史的背景や各スポットの説明を聞きながら観光することが出来て良かったと思った。

因みに北京の特に観光地では着物を着た若い女性をかなり多く見られる。これは最近流行っているtiktok等の配信アプリで配信して小金を稼ぐ目的で、映える景色と映える服装で撮影しているとのことだった。着飾った女性同士で撮影していたり、カメラマンを雇っている女性もいたりと様々だが、かなりの数の女性が撮影していた。このビジネスはコロナ前はほぼ皆無だったが、ここ数年で一気に一大ビジネスに発展したとのこと。観る人数が桁違いに多い中国だからこそ、たくさんの配信者がいても稼げるのだろうか。マーケットの規模が段違いに大きい中国のパワーを見せつけられた気がした。

ツアーは13時から17時過ぎ頃まで掛けて、映画の中で観ることが出来た場面に実際に自分が立つことが出来た事実に感動し、またここを実際に使っていた時代と人々の生活に想いを馳せながら、故宮博物院をたっぷりと堪能することが出来た。

同じツアーに1人で参加していたイギリス人男性と途中から話しながら歩いた。彼は父親から受け継いだビジネス(特殊なケミカルを粉砕する設備機械系を扱っているようだったが聞いても正直よくわからなかった)を一人でしており、世界中を周っているようで、これからアメリカに行くとのことだった。世界には本当に様々な人がいて、多種多様なビジネスをしているなぁと感じる。自分がもしその立場だったらビジネスを受け継いでいるのか、どこかの会社に勤めているのか、はたまた別のビジネスを立ち上げたりどうしているのだろうか、等とも考えることがある。

 

少し話は逸れるが、このブログを書いている今からつい先日「国宝」という映画を観た。

国宝のあらすじは以下の通り。

李相日監督が「悪人」「怒り」に続いて吉田修一の小説を映画化。任侠の家に生まれながら、歌舞伎役者として芸の道に人生を捧げた男の激動の人生を描いた人間ドラマ。

任侠の一門に生まれた喜久雄は15歳の時に抗争で父を亡くし、天涯孤独となってしまう。喜久雄の天性の才能を見抜いた上方歌舞伎の名門の当主・花井半二郎は彼を引き取り、喜久雄は思いがけず歌舞伎の世界へ飛び込むことに。喜久雄は半二郎の跡取り息子・俊介と兄弟のように育てられ、親友として、ライバルとして互いに高めあい、芸に青春を捧げていく。そんなある日、事故で入院した半二郎が自身の代役に俊介ではなく喜久雄を指名したことから、2人の運命は大きく揺るがされる。

この映画を観て自分とは全く異なる人生を疑似体験したような気がした。

旅先での出会い等を通して、人種や国籍等が異なる、自分とは遠く異なる境遇の誰かと話してその人の人生を知ることも、そのような疑似体験に近い感覚かもしれないとふと思った。

 

話は戻る。

ツアーが夕方に終わり、同僚と前門大街で待ち合わせて夕食をとることとした。

同僚の奥さんが北京出身の中国人なのでオススメを聞いてくれて、卤煮という料理が名物とのことだったので是非食べてみようということになりお店を探して歩いた。卤煮という看板を出しているお店はかなりあったがどこが良いのかよくわからない。あまり観光客向けっぽいお店よりはローカルな雰囲気のお店の方が良いかなと思い、地味目なお店に入った。この卤煮はモツを煮込んでスープに入れたような料理で、やはり匂いが強め。個人的にはあまり好きでは無かった。

ビールを飲んでいたので尿意を催してきたのでトイレはどこかと聞くと、すぐそこの流しのような場所でしろと言われた。トイレは無いのかともう一度聞くと、お店には無いので近くの公衆トイレを案内されたが、中に入ると個室のドアが無いトイレだった。噂には聞いていて、中国にはこれまでたぶん20回以上来ているが初めて見た。

日本人はあそこで大は絶対できないと思う。中国の洗礼を受けたような気がした。。

 

4日目 20250525

本日は天壇公園に行くことにした。

天壇は、明清代の皇帝が「祭天」(天に対する祭祀)、「祈谷」(豊作の祈願)を行った場所で、正陽門外の東側に位置しています。壇域の北は円形で、南は四角形となり、「天円地方」に則ります。その周りに2枚の壇壁が設けられており、全壇が内壇と外壇の二つの部分に分けられています。総面積は273ヘクタールで、主な建築は内壇に集中しています。

天壇公園[tuchong.comより]

内壇は壁で南北2部に分けられています。北は「祈谷壇」で、春の豊作祈願に用いられ、中心部の建築は祈年殿です。南は「圜丘壇」で、冬至の日に祭天に用いられ、中心部の建築は巨大な丸い石台で、「圜丘」といいます。長さ360メートルの小高い道路である丹陛橋は二つの壇をつなげ、南北に1200メートルの天壇の中軸線となしています。その両側に、古柏の林が広がっています。

天壇公園[tuchong.comより]

天壇は明清代の建築技術の集大成で、中国の古代建築の重宝です。世界最大の祭天建築群でもあります。1961年、国務院は天壇を「全国重点文化財保護機構」として公表しました。1998年にユネスコの「世界文化遺産」に登録されました。

 

この日は天気が良くかなり暑かったので中には入らず公園内を散歩するだけにしたが、緑がたくさんあり、様々な建造物等の見所もたくさんあったので十分に楽しむことが出来た。

観光を終え、近くにあったお店でジャージャー麵を注文。たくさんの具材が揃った麺セットで豪華だったが、食べ方が良くわからなかったのでお店の人に聞くと、おばさんが来て具材と麺を混ぜて完璧に作りあげてくれた。サービス良いね!

昼食後はぶらぶらしながらホテルの近くに移動し、足つぼマッサージ屋に行った。予約をしていなかったので少し待ったが、綺麗な女性がきて私の担当をしてくれた。彼女は中国語しか話せなかったが、身振り手振りとgoogle翻訳を使い色々と会話した。彼女は基本的にはマッサージ担当ではなく、受付担当とのこと。混んでいる時はマッサージをすることもあるとのことだった。雅香と書いてヤンシュンという名だった。良い名前だねと言うと満面の笑みで喜んでいた。また北京に来た際には会えたらいいな。

17時頃にホテルに戻り、チェックアウトして、明日からの展示会参加に備えて次のホテルへ移動する。タクシーを呼んでもらい、展示会場近くのホテル「Crowne Plaza Beijing International Airport」https://www.ihg.com/crowneplaza/hotels/us/en/beijing/pegap/hoteldetail

にチェックイン。

この日は時間も遅くなったので、ホテルから歩いて行ける栄祥広場という小さめのアウトレットモールのような場所に行き、「Bellota Spanish Restaurant」というスペイン料理のレストランで夕食をとった。このお店は中国では珍しく本格的なスペイン料理とビール・ワインを楽しむことが出来、かなり好みのお店になった。同僚と色々な話をしながらワインを飲んでいたらいつの間にか客は自分たちだけになっていて、店員さんも着替えて帰る準備をしていた。遅くまで飲んじゃってごめんねと店員さんに謝ってお店を後にした。とても楽しい夜だった。価格は少し高めだが、是非また行きたいお店になった。

 

翌日から4日間、展示会に参加し、様々なお客さんや同僚・競合会社の方々と会い、ビジネス・プライベートを含め色々な話をしたり、一緒にご飯を食べたりして交流を深め、充実した時間を過ごすことが出来た。

外資系で働いていて良い事の一つは世界中の様々な人々と会い、色々な話をすることが出来ることだと感じる。

一度きりの人生、これからもたくさんの経験をして悔いのないように生きていきたいと思う。

ABOUT ME
chatran
旅を愛する30代の外資系サラリーマン。 世界中を旅するのが夢です。 自由に生きるため、日々投資も勉強中です。